LOSTと煉獄 最終回の解釈

昨夜やっとLOSTファイナルシーズンを観終えた。
様々な謎が明らかになるためにはこのファイナルシーズンで全て収束しなければならない。
きっとクライマックスに向けいままでのシーズンとは異なり結末へ盛り上がり突き進むのかと思っていた。
でもいつものLOSTでした。

相変わらずのテンポで行きつ戻りつしている。Aを選ぶかBを選ぶか。誰が選択するのか。
これは象徴だよね。人生でどのように選択するのか。当初正しい人をやってきたジャックがだんだん躊躇していく
最後には選択を他人に委ねる。これは自分の内面と向き合い対話し良き人を演じなくてもいい。弱い自分、辛い自分を認めた姿。これが自分を受け入れ、ベンの言う「受け入れてもらいたい」ということ。

LOSTはそれにしても村上春樹と似ている。何かわからないが行かねばならない、会わなければならない、なさねばならない、殺されなければならない、性交しなければならない。なぜかという理由はわからないが、そうしなければならないことは分かっている。そうすればしっくりいく。

LOSTのシーズン2辺りから、この島は煉獄なのかなと思っていた。決定づけるのは誰かが言っていた「飛行機が墜落してこの人数が助かることの奇跡」(だったかな?)

既に皆死んでいて、フラッシュバック通り皆、人生にうまくいっていない。何かの問題を抱えている。そのために死に向かえない。三途の川を渡れないと。島の外などないんじゃないかと想像していた。キリスト教でいうところの煉獄。


しかし、最終回を見終えると。

中断します。解釈中断です。

先に村上春樹を挙げましたが、村上春樹はエッセイの中で自分の作品を解釈したり謎解きを行ってほしくないと述べてます。その作品を読んで感じたままでいい。人それぞれ読み方は違うし本を読んだことで読む前の自分と少し、でも明らかに変化し自分になってくればいいのです。

LOSTを解釈するよりも救いがあった、でも切ないLOSTの終わりをしみじみと味わい余韻を楽しもう。