原則4 受け止める(受容) バイスティックの7原則 自分の記事補足

googleで「バイスティックの7原則」と検索すると7原則について書かれてる多くの記事で7原則中「専門的援助関係」と書かれているのは誤りで正しくは「受容」が加わっていなければならないとあった。
自分のブログ見てみると・・・・・「専門的援助関係」。
バイスティック神父が書いた『ケースワークの原則』読むと・・・・「専門的援助関係」はない。「受容」がある。

わたし間違っていました。テキストには「専門的援助関係」って書いてあったんだけど。バイスティック神父、あなたの本勝手に解釈されていますぞ。誰が何の意図なんでしょうね。

それではあらためまして「受容」について書きます。

原則4 受け止める(受容)

受け止めるとは尊敬の念にもとづいて人に応対することを意味している。クライアントを受け止めようとする意図を内面にもっている場合その意図が実行される以前であれば、その意図は一つの態度であるといってよいだろう。あるいはクライアントを受け止めようとするケースワーカーの内面態度は、知的な確信にもとづいた、あるいは情緒の色彩をいくらかおびた、意志の方向性であるといってもよい。
受け止めるとは理解・敬意・愛・把握・迎える
注意!逸脱した態度・主義・行動を受け止めることはそれらに同調し許容するべきではない。ほめもしないし、非難もしない。

人間への尊厳はヒットラームッソリーニなどのファシズム批判、クレムリンの謀略(旧ソビエト連邦首都モスクワにある宮殿を指す)に立ち向かう信念だそうです。フムン時代を感じますな。ファシスト共産主義者は上記受け止めるの埒外ですか。そうですか。

ソーシャルワーク理論でいうところの援助者の中立性よりバイスティクの人間観に基づいた援助者像が記されてるなと感じる。たとえば「人が快適で幸福になれるよう援助すること」「クライアントがより良く生きられるように援助し・・・彼が自分の人生と行動を自ら大切にすること」良き人間像ですね。社交の場や職場で他者を受け止める場合の目的とは異なっている。

さらに、キリスト教の教えそのものがソーシャルワークに使われているんだ。
「たとえ、社会的な落伍者であっても、成功した人とまったく同じように、神の形になぞらえて創られた同じ人間である。また、天にましますわれらの父から永遠の愛を受けた申し子であり、天国を受け継ぐものである。」
「個人がいかなる特徴を持っていても・・・・神から与えられた尊厳を人から奪う理由にはならなである。神の意志に背いて振舞うとき、彼は自分の尊厳にしたがって行動しているのではないからである。」
「人間の尊厳の起源が正しく考察しておくことも必要である。尊厳は個人としての成功によってもたらされるものでもなければ、人権宣言や民主主義憲法にその源を発しているわけでもない。それらは人間の価値の起源ではなく、それを単に宣言しているだけである。人間の尊厳の起源は、神から与えられたもののなかにある。」

流れを矢印を用い書いてみた。

人間は無限のエネルギーがある。愛と英知がある→神が自分に似せたものが人間であるからね→それが人間の尊厳の根拠である→この人間の価値がクライアント→だから受け止めるというのが援助原則→ケースワークの意義

展開についていけません。

援助者がクライアントを受容する助けとして信仰がなければならないのですね。逸脱している人も源は神の意志であると規定されて信仰が礎にあればいいのですね。でも日本人である私達は外からキリスト教的人間観を理解は出来ても神を信じているわけではありませんのでここらは当てはまりませんね。(バイスティックさん真っ赤になって怒りますか)
社会福祉士のテキストなんかにゃ神や愛や天国だと言う記述はのっていないのだけれども神父であるバイスティックとしてはこれらを割愛して編を加えられたものって許されるの?宗教者として神を省かれてはご納得されないと思いますが。

さてはて、社会福祉士通信過程なんかのレポートに役立てるならキリスト教とのからみ書いても駄目でしょう。いや駄目でもないか。このようなキリスト教を背景に持った原則は少なくとも日本では足り得ないなどと言ってください。誰か。書いてください。つわもの。
わたしてきにはキリスト教的人間観そっくりそのまま切り取っちゃって「受容」という概念謳っても援助の原則として役立ちますよと思っています。大体、教科書からしてそうなんですけど。バイスティック神父は怒りますけど。

んじゃレポートに使える受容の定義。
「受容とはケースワーカーがクライアントの人間としての尊厳と価値を尊重しながら肯定的感情と否定的感情、あるいは建設的な態度および破壊的な態度を現在のありのままの姿で感知しクライアントの全体に関わることである。それはクライアントの逸脱を認めるということではなくありのままを受け止めるだけである。肯定も否定もしない。
こういったケースワーカーの態度によりクライアントは防衛する態度を取らないようになるし安全感を獲得することにより彼らは表現しまた自分自身をみつめ現実に即した遣り方で問題に対処することが出来る。
これらは援助の遂行の助けとなり援助の効果を高めるものとなる。」

援助者がクラインアンとへ受容的な態度を行うことにより自分自身を見つめ現実に即した遣り方を自分で発見できるって辺りはちょっと疑問ですが。受容されただけで、はたと自分を表したり。しみじみ自分の問題ってこうだなぁ。なんてなります?それはもともと力持ってる人ではないか。その程度で問題点明らかに出来るなら援助者が関わらなくっても時間さえあれば自然に自分で何とかできるのものではないのかい。


後半に受容の妨げになる8つのポイントが述べられていました。8つもあります。でもおっしゃるとおりです。

?人間行動に冠する十分な知識を持たないこと
?ケースワーカーが自己を受け止められないこと
?自分の感情の責任をクライアントへ転嫁すること
?偏見と先入観に支配されること
?口先だけで励ますこと
?受け止めることと許容することを混同すること
?クライアントに対する敬意を失うこと
?クライアントに過剰同一視すること