残虐記 桐野 夏生

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 2000年新潟県柏崎市四谷であった少女誘拐・監禁事件をモチーフにした作品だ。(明らかにこの事件を元に書かれた小説なのだが桐野 夏生は否定しているようだ。 あとがきに斎藤 環が新潟の事件に触発されてこの作品は書かれているとしているのに。どうしてだろうか。)

 桐野 夏生の作品はやけにリアルだ。小説、物語などではなくこれが私自身が暮らす社会に地続きなのだと思うと怖気が増す。そして気が滅入る。

 誘拐される少女を初めてして登場する人物は皆一様に嫌なものの見方が染み付いている。人間の汚さを表したいのか性悪説を考えているのか。

 実は児童に対する性的な事件は増えていないのだそうだ。だが事件が増えているように感じるのは何故だろうか。そこにはマスコミによるセンセーショナルな受け手に喜ばれる記事の供給がある。もちろん受けての需要が高いからそのような仕組みがあるのだ。センセーショナルな犯罪は市民の楽しみなのだ。好機の目が被害者に注がれる。

 もちろん読者も好機の目を持って読み進むのだ。これが実際にあった事件をモチーフにしていることを知りながら。
 

 結末は物語として驚きである。ただ、この作品が現実に極めて近く記憶に残る事件が題材にされていることを考えると複雑である。
 
 もしや桐野夏生は新潟の事件についてもきっかけはどうあれ犯人と誘拐された女児に結末のようなことが有り得たのではないか。もしそうならば少女にとっては犯人のいない世界が異質に感じられるのではないかと想像したのか。ステレオタイプに報道される事実が私達にとって望ましいものとは限らないと。
いや、それは分からない。桐野夏生の想像は想像である。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。検察の宮坂のように好奇に耐えられず本人に聴くしかないのである。

 もちろんそんなことなど出来ない。そういった桐野夏生の想像は下卑た嫌なものだ。最も唾棄すべき「性的人間」
は著者の桐野夏生である。

 私が実際の事件に被害うけた関係者なら桐野夏生に何らかを下すだろう。