私が読んだ本2014年でベスト。そろそろ「社会運動」の話をしよう――他人ゴトから自分ゴトへ。社会を変えるための実践論 レビュー

編著者は1952年神奈川県横浜市生まれ。1980年法政大学大学院博士課程(日本文学専攻)修了。法政大学社会学部教授(近世文学)。2012年より社会学部長。2014年4月から法政大学総長。『江戸百夢』(朝日新聞社ちくま文庫、2010年)で芸術選奨文部科学大臣賞、サントリー学芸賞受賞。2005年紫綬褒章受章。著書に、『江戸の想像力』
 
本書は法政大学で2011年より始まった講義「社会を変える実践論」をもとにしている。講義の第一の目的は様々な問題に当事者として直面した時どのように解決するか第二の目的は自分と社会の関わりを理解しどのように能動的に関わっていくのか。(わたしが目下知りたい問題そのものである)「静かにしていよう」「黙っていれば」では解決しない。原因はなにかと考えることが「知性」なのである。日常の中で行動する知性を獲得してほしいというのがこのこうぎももくてきである。(なんども読み返したくなる素晴らしいまえがき)

PART Ⅰ 他人ゴトから自分ゴトへ
第1章 ブラックバイトと労働運動――「僕」と「彼」の交差点

第1章は「社会を変える実践論」の講師である仁平典宏氏が学生時代の自分を振り返り 「社会を変える」とか言っている奴が苦手で生活は安定し大学生の生活を楽しみ世界の困難や障がいのボランティアをやっている奴等からどこかの誰かの話がリアルに感じさせ自分の半径3mの小宇宙が否定されるような気がして彼らの活動にシニカルに「偽善じゃないの」「自己満足じゃないの」と思い自分を守っていた。
 次に法政大学3年生で「社会を変える実践論」を履修している岩井君の話に移る。岩井君は大手スーパーでバイトを指定たがこのスーパーはいわゆるブラックでブラックな会社でバイトをしていた。岩井くんは労働組合と出会い残業代をとりもどす。多くの若者がバイトで「おかしい」と思っていても行動しない。個人的に「おかしい」と思っていても変わらない。同じバイト仲間に「これって違法らしいよ?」と話しかけ「確かにおかしいよね」という会話がはじまれば集合的アイデンティティの成立である。仁平はこれを社会を変える1歩としている。
 仁平の話に戻る。仁平が博士号をとったあと正規雇用につけず生活が苦しい状況に成る。他の同級生は順調に社会で出世、安定していく。ここではじめて学生時代に運動していた他の学生の意味が体感できた。自分は運動に精神的に救われた。
運動は楽しんでいい。仲間と社会を変える運動をしているとワクワクする楽しさがある。ひとりで解決するには限界がある。誰かに相談して共有するという手段があるが自分の半径3mの世界では解決しないことがある。社会には運動という選択肢がありそれはもうひとつの優しく・しなやかな世界である。

学生向けに語れる言葉なのかとてもこころにすっと入ってくる。自分の学生時代に照らし合わされる。わたしも社会の困難に関心などなかった。福祉の現場に入ってから社会の問題に関心を持っていったのは。なぜ今の世の中を作り上げた人生の先輩・功労者であるお年寄りの最後がこのような狭い老人ホームに押し込まれて生活しなければならないのか社会と切り離されなけれなならないのか考えていったのだと自分の昔から今を確認した。

第2章 「権利主体」までの長い道のり―社会を変えるための実践に参加する前提条件

第二章は「社会を変える実践論」の講師、平塚眞木氏がある失敗からなぜ社会運動に関わらないかを明らかにする。「社会を変える実践論」を受講する学生の多くが「自分には関係ないどうでもいいと思った」と高校生の社会運動について考えていたのだ。講師自身も自分を振り返ってみると「理屈の上では権利主体(高校における高校生)なのでしょうけど権利主体として行動を期待されるのはハッキリうざい」という内なる声が聞こえたのだった。
私達はアプリオリに「社会を変えるための実践」に参加するとは限らない。

平塚は学生は権利主体としての意識を持つことに至らないのはこどもから大人へのプロセスで何かが欠けている「社会」に問題があるのではと考えた・。学生にアンケートをとったところ8割が学校のあり方に問題を感じていた。
学生の手記からも自分自身が回復するだけでていいっぱい、自分への無力感、我慢するもの、学校や社会は変えられないと書かれていた。
 これは第一章と似た事例である。「社会には問題がある」「社会は変えていかなければならない」「このような社会を実現する」と力強い言葉はネットやTV、本から飛び込んでくるが多くの人がなぜやらないのか?なぜ行動をおこさないのか?に焦点をあてて考える機会はなかった。私自身の考えていなかったこと。盲点を気付かされた。社会福祉士の現状もこれが同様のことと言えるのか。
 平塚の結論は子供学生の教育・大学のあり方が問われていると現状を変えていくことに対してとても弱い答えなのが残念である。それだけ困難ということか。わたしたちが権利主体=市民となるための道のりは遠い。やはり行動をおこす人はごく一部に限られるのか。


第三章は本書の編者である田中 優子氏が農民一揆、60年台70年台の運動を語る。これにはあまり共感ができなかった。ただ高度成長期のおける成長とともに旧来のものが壊されていく喪失感、空虚を埋めようとしていた時代に空気のようなものは感じ得た。ただ運動はかくあるべしは今の若者には理解されないし受け入れられないと考える。

PART2 仲間を広げる、社会を動かす(社会を変えるためにソーシャルメディアを使う
第4章は藤代裕之氏(法政大学社会学部准教授)が社会を変える為のツールとしてのソーシャルメディアについて述べている。YOUTUBEツイッターが社会を動かすという論は目新しくないが新聞、TVをマスメディア、個人ブログ、SNSをパーソナルメディア、そして編集型ニュースサイト、まとめサイト検索エンジンをミドルメディアと分類する例は本書で初めて知った。
 社会を変えるためには声を上げて届けるだけではなく行動してもらわなければならない。キーワードは①共感の可視化②定期的な情報発信③ソーシャルリスニング
 ①共感の可視化。2011年に電通の佐藤がソーシャルメディアの普及を前提とした新しい消費行動プロセス「SIPS」を発表した。人々はsympathize(共感する)→identify(確認する)→Participate(参加する)→Share&spread(共有・拡散する)というプロセスで行動する。情報に共感しマスメディア、ミドルメディアで確認し参加したファンになったひとが情報を拡散する。従来の大声で叫ぶだけではなくファンになってもらうことが必要。
②定期的な情報発信 一度の情報発信で終えるのではなく参加者が参加を調整できるように事前に定期的に発信していく。
③ソーシャルの声を聞こう ソーシャルメディアで賛同されているので支持を受けていると見誤ることがある。ソーシャルメディアを利用することで似通った意見ばかり接することで集団分極化しているとの指摘もある。グーグル検索も検索履歴により個々人で検索結果の順位は変わってくる。知らず知らずのうちに情報がコントロールされている(イーライ・パリサーはこれをフィルターバルブと呼んだ)こういったソーシャルの勘違いを防ぐためにはソーシャルリスニングという手法で分析を行う。
その他、炎上などのリスクに備える。自民党は広告代理店に依頼し書き込分析、監視するソーシャルリスニングを行った。岩手県大槌町での被災に関する情報発信支援の例など。

第5章 社会を変えるためにマスメディアに働きかける

 テレビ局で特派員を勤めた後法政大学社会福祉学部教授となった水島宏明氏がマスメディアへ働きかける方法を述べる。新聞記者は昔と違ってネットニュース、BS、CS用のニュースと書き分けられ取材から報道へはスピーディーさが求められる。記者は多忙を極めている。自分たちの活動を報道してもらうにはこのような記者の事情を理解して働きかける必要がある。
 記者へ送る紙の資料の内容が重要である。社会問題にリンクしいかに重要な問題であるかを説得力が有り興味を引く形で書いてあるかが肝心である。マスメディアで働くものの多くは高学歴・高収入である。例えば貧困問題に必ずも興味をもたないかもしれない。ネーミング見出しの工夫で記者に関心を持ってもらえることにつながる。社会実践をする側がわかりやすく見出しを工夫するぐらいでないと関心を示してくれないのが現状。
 社会を動かすには「プレゼン能力」が必要。正しいことが必ずしも伝わるわけではない。水島氏が記者の時「独善的」「一方的」「予備知識を持たない人への想像力がない」人をを散見した。「わかりやすさ」「人間らしさ」「共感」を持てるかどうかが「伝わること」を左右する。
 ネーミング次第で社会が関心を持ってくれるかそうでないかが決定される。(水島が「ネットカフェ難民」という言葉を造った。結果、国会で取り上げられ厚生労働省が実態調査を行うことに至った)一言で表現できないものは何千字費やしても分かってもらえない。社会実践の企画でもこの原則は同じである。活動する自分自身が長々と話さなければ表現できないものを記者に伝える側はわからない。ニュースにもしてもらえないし多くの人が共感しながら集まる活動にならない。一瞬でどんな問題かがぱっとわかるか。一言で伝えられるか。そうしたわかりやすさは不可欠だ。
 生活保護を申請させてもらえない事件。1987年札幌白石区の「札幌母親餓死事件」(札幌市白石区は歴史的に生活困窮者を餓死させているのだな・・・。)に水島はかかわった。この事件を取材したが社会に関心を持たせることがうまくできなかった。だが、かつて官僚だった弁護士が役所の中で使っていたという「水際作戦」を表に出した所生活保護申請を窓口でストップする問題が社会に意味付けられた。
 日本はメディアのニュースが行政発であることが圧倒的に多い活動側が上手にマスメディアを利用しソーシャルメディアを活用し市民発の情報発信が広がっていくことを期待する。
 本章はとても自分にとって役立つ内容だった。社会福祉士として社会に働きかける手法を知らない持たない自分を自覚できた。思っていたとおりだったのは「プレゼン能力」だった。これを意識せず専門職用語で専門職だけの研修を繰り返していても発展はない。ネーミングが重要なのも納得である。

第6章 保育園民営化問題に直面して
法政大学社会学部教授 島本美保子氏が保育園が民営化されることへの反対運動を行った実例

第7章 教員の不当解雇と裁判問題
法政大学社会学部教授 荒井容子氏の教員の弟が暴力を振るったことで解雇された件に対しての異議申立て事例。
申し訳ないが本書で唯一共感できない章だった。生徒から慕われていたが上司から嫌われていた。他の教員の処罰つに比べ不当に重い処分という言い分は民間の感覚からすると理解できない。細かく注釈がついているが言った言わないは興味が無い。職業人が職場で何か問題を起こした時、日頃の活躍や上司から評価を得て入れば処分は軽くなるのでは。でもこの軽減された処分が他の教員より軽く不公平で不当で不正義だとは誰も申し立てないのでは。

第8章 グローバル市民社会と私たち

本章は法政大学社会学部(アジア地域研究)吉村真子氏。フェアトレード、BOPビジネス(低所得者貧困層)をターゲットにしたビジネスモデルなどについて。BOPビジネスは貧困層が買い求めやすいように近所で手に入りやすく高くならないように小分けで販売される常時手に入るなどがポイント。グラミン銀行 バングラデシュの互助会的銀行。返済率9割とのこと。

私達が消費者としどういった選択をするかとうことで世界や社会が変わる。と締めている。朝起きてかコンビ二を利用し職場へ向かう中でいろいろな物を購入するがその商品がフェアなものかは分からないというのが皆正直なところではないでしょうか。適正利益が配分される経済世界は想像できない。

第9章 人類史の流れを変える―グローバル・ベーシック・インカムと歴史的不正義

法政大学社会学部教授 岡野内正氏がグローバルベーショックインカムにによる所得の保証された社会を夢想する。わたしは氏が考えるグローバルベーショックインカム保障社会は困難であると考える。暴力を乗り越えようと世界が考えようとする仕組みと簡単に言ってもそこに文化や宗教、悪意がある。ベーショックインカムで保証された上で経済活動を行うものとベーショックインカムで生活する者とでは差異が生じる。差異が生じれば差別が生まれる。現在の生活保護受給者とおわりにでファンタジーはわくわくすると言っているが実現し得る目標でなければわたしはわくわくしない。

第10章 対談 対人関係構築能力、それが世界への回路だ

民主主義は多数決ではなく合意形成。江戸時代の農村における寄り合いは合意が原則だった。寄り合いで合意が得られるまで何日も話し合った。自分も歩み寄るけど相手も歩み寄る。なのになぜか近代民主主義は権威主義 水戸黄門的民主主義だ。個人による合意形成になれていないのか。
 日本のリベラリズムは国家対個人を問題にしているが個人の中の多様性(女性問題、障がい者問題)を障がい者の問題を取り損ねたアメリカは性的マイノリティーとかきちんと遡上にあげている
 日本はアメリカにあるようなコミュニティオーガナイザーが入ってこなかった。無縁の中で人を結びつけるノウハウが蓄積されていない。日本のコミュニティオーガナイザーは徒弟制度のような現状。オーガナイズドがなければナショナリズムが出現し国家主義になる。今は国家主義に流れていく力が強い。左翼も右翼も仲間で集まって他は排除しようみたいな話になる。
 学生は自分の外に問題があると考えていることがある。多様な生活で働くことが自分の問題として社会問題をきづいてもらえるかかも。(ロバートチェンバース 開発学研究者の本に書いてあったが人間は読んだことの10%、聞いたことの10%しか覚えていない。でも自分で行ったことは90パーセント覚えている。)
 伝えるということは着地点サイドを考え設計する。大学なら学生。支援の現場なら本人目線。これを意識しないと伝えようとしていて伝えていないことになる。

本書は法政大学の「社会を変える実践論」という講義をもとにしているためとても分かりやすい。学生だけではなく社会を変えたいと活動している一班の方々にも伝わりやすいとかんがえる。このわかりやすく伝わるとうのが本書の核の一部である。対象に届かなければ行動を変えてもらえない。行動してもらえない。多くの人が動かなければ社会は変わらないのだ。本書の著者は皆、法政大学社会福祉学部の研究者である。専門家にありがちな専門用語の羅列がなく伝えたいという気持ちが読んでいて感じられて素晴らしい。

 では本書で社会は変わるのだろうか?本書のタイトルは「社会運動」の話をしようである。社会を変えることへの比重より運動そのものについて重きを置かれている。運動を通じて仲間を得た。運動は自分はなぜここにいるのか、どのように生きるかを問う。など自分の喪失感を埋めるための運動なのか?と疑問もわいた。結果として社会問題が改善されれば良いのだがそういった社会を変えていく手立て、テクニックを広めていくことがわたしは重要だと考える。水島氏の第5章は内容も章自体の構成もとても勉強になった。藤平氏の第4章も広報を行うときに繰り返して読み直したい。
全体を通してほぼ全ての章の書き手の熱に感銘を受けた。わたしが2014年の読んだ本の中で間違いなくベストである。12月23日読了。